昭和五十六年六月二十三日 朝の御理解
御神訓 信心乃心得 一、信心は家内に不和の無きが元なり。
信心は家内に不和の無きが元と仰せられるのですから、信心させて頂く者すべからくここの所に焦点を置いて、先ずは自分の心の中に不和の無い心、先ずは自分の心の中に和賀心、和らぎ喜ぶ心、そして家内親子共々に円満のおかげを頂きたい。それが信心の元だと仰せられるのですから。
昨日は、田主丸のむつや石井信司郎さん宅の恒例の宅祭、もう三十年から続いております。もう本当に今度又二階のお広間が三十何畳でしょうかねあそこは、真四角なお広間。正面にそれこそ白木の見事な御神殿が出来ましてね。今まで御神殿で今までお神様をお祭りしておった所の後の倉庫を全部畳敷きにして見事な部屋が一部屋出来ておって、そこをまあ親先生の控えにしたいと言うてまあ大変気のきいた立派なお部屋が出来ておりました。 私は昨日皆さんにも聞いて頂いた事でしたけれども、何をするでも同じですけれども、とりわけ信心はその気にならなければ、神様もその気にはなって下さらないという事ね。もう一月も前から宅祭の事を夫婦の者が毎朝参って来ます。もう本当に夫婦それこそ仲良う信心が出来ます。そして一月後に控えたお祭りの事を毎日お願いをさせて頂くと同時にそういうように何かにと、丁度あちら又立派に畳替えやら改造やら出来たのがもう前日だったそうですけれども、まあ本当にもうそれこそ見事なお祭りでした。御参拝者もいっぱいでした。それで私もまあ控えに使ってある所の床の間があってこちらに、半床のようなのがあって、花がそこにこう活けてある。ここに何か一つあったらいいなあと思うたら、以前に私がお多福さんの面を頂いていたんです。見事なお多福さんの面です。それがどこに掛けてもあわんのです。だから昨日繁雄さんにあれを探し出しといて下さい、そしてから、あれをここに上げて下さいと言うて昨日お願いした事で、おそらくどこにか深かなおししとるだろうと思いますけれども、以前でしたから。その昨日繁雄さんにその事を申しました事を今朝の御祈念で頂くんです、そのお多福の面を。はあだから私が私の考えでお多福の面を、あそこに上げようと思うたんじゃなかったなあとこう思うたと同時に今日の御理解がこれですからね。家庭に不和の無きが元。いつでしたか頂いた御理解の中に、家内がお多福さんに見える時には自分自身がひょっとこの自覚に立て、主人がひょっとこに見える時にゃ自分がお多福さんである自覚に立ちゃ夫婦は円満とおっしゃる。ね、そういう意味で私はあの昨日はお多福さんの面をむつやに上げようと言うた事になったんだなあ、いよいよお多福にならなければいけないなというふうに思いました。お店も一年一年歳々生き生きと、いわば不景気知らずの繁昌のおかげを頂いておるお店という感じが致しますです。ね、それで昨日は、これももう三十年間私共が結婚記念日が丁度昨日にあたるんです。三十年間あちらで宅祭がございますので、あちらでいつも結婚記念日をお祝いをして頂くような恰好です。ちゃんとケーキやらおごっそうやらが出来ております。昨日は花束贈呈までございましてね、まあお祝いをして下さいましたけれども、本当に思うんですよね。私共が四十年間ね、私は昨日も皆さんにそれを私共夫婦のまあ言うならば、むつやでこうやって毎年して頂くからいよいよ仲陸まじゅう、若い時にはまあ言うならば、体の上でも体と体だけで睦まじゅうなれるのですけれどもね、夫婦喧嘩は犬も食わんというように、だんだん歳を取っていくに従ってもう体ではありません。いうなら心と心、信心と信心が、それこそ拝み合いつつ、拝みつつ、今日の喜び何にたとえんと、これはこの前の家内の誕生の時に頂いたお歌です。
そういう言うならば、家庭に不和の無きが元の元である。私、そして家内から今日の合楽の御比礼はあるんだというふうに聞いて頂いたんです。ね、拝み合いつつ拝みつつ今日の喜びを何にたとえようも無い程しの有り難さというものが、なら一家の繁栄だけではない、人が助かるというような元まで出来て居るという所をみるとですね、こりゃあどうでも家庭に不和が無きが元である事を検討にも検討を加えさせてもろうて、神様からお多福のおかげを頂けるような一つおかげを頂きたい。ただおかげを頂くという事は、ただ参った、お願いをした、おかげを頂いと特別の祈りの中にそこにおかげが頂けれるのですけれども、昨日一昨日でしたか、ここの内田さんという今むつやの方の子供達が沢山おりますからね、その家庭の方はあのうお世話して下さっておるんです。内田というお婆ちゃんが居りますでしょう。え、の三番目の息子資生さんというのが子供ん時は熱心に参って来よったけれども、もうすっかり信心止めてしもうたごたるふうで止めとりましたが、此の頃から一月程前から毎日日参りして来るんです。此の頃は朝参りをして来るようになりました。それは或る願い事があったんです。私が最近耳が遠いから細々しい事は分からんけれども、日本中で三十九名だけしかその何ちゅうですか、その何かが試験なら試験がでけるというのだそうですが、資生さんの仕事の関係で五人の人がお願いしてあった。日本中で三十九人しか入らん中に五人お願いして四人は入っている。もうどんなに考えても不思議で不思議でならんち言うて自分の言うてるわけです。ね、その気になってお願いをした訳でもないだろうけれどもです、こりゃあまあ親の祈りもありましょう。勿論あのそういう願いをしておかげを頂いたというおかげなら合楽では日々沢山頂いとりますけれどもやはり本当のおかげ、それには本当の信心を頂きたいというその気にならなきゃ駄目です。
おかげも頂かんならんが信心もその気になって合楽理念を頂くならば、誰でもそれを実験実証する事が出来るように説いてあるのですから本気で、言うならば、土の心なら土の心にならせて頂こうと精進させて頂く気に本気でならねば出来ません。皆さんの朝参りでもそうでしょうが。その気にならなければ出けるこつじゃありません。けどもその気になって神様がその気になっておかげを下さる事の為には神様の心である教えを本気でその気で頂こうと言う気にならなきゃ駄目です。
先ずは自分の心の中に、言うならば和の心。それが家内にも、子供にも広がって行く、その和の心が自分の周辺にもだんだん広がっていくという。最近では昨日もあのう、あそこの何とかいう商店街ですがね、何ちゅう商店街でしたかね。サンロードかね、サンロードとか何とかいう商店街のあの熱心なその店主の方達が兎に角商売が上手とか下手じゃない。やはりむつやのだんだん繁昌のおかげ頂いとるその模様を見てです、こりゃ信司郎さんの生き方がほんなこつだというふうに感じだした。だからいろんな役も承るが、信司郎さんにはどういうような、まあいうなら不景気知らずのおかげ頂けるかという求めて来るようになった。こんだどうでもあんた方の宅祭のある時に合楽の先生が見えるなら私どんも呼んで下さいというておったが、昨日もいく名もみえておりました。というようにサンロードのあの商店街全部がです合楽理念に基づいて、言うならば商売が出けられるようになったら、サンロードの商店街が確かに繁昌するだろうと思う。そういうようにね、一軒の繁昌が次の隣にも隣にも広がっていくようなもの、元はなら信司郎さん達夫婦が仲睦まじゅう信心の稽古を日々それこそ手に手を取らんばかりにしてお参りをしてくる。たまには早いけれども皆小さい子供達がついてくる。それこそお父さんとお母さんの間にちょこんとここへ座ってからお届けをする。もう信心のこれなら信心の継承も心配は要らん。そんな感じがしますね。合楽の御比礼が、例えば昨日田主丸で申しましたようにです、私共夫婦が四十年間ね、それこそ、拝み合いつつ、拝まれつおかげを頂く程しのそのおかげが、言うならば合楽の御比礼の元になり、私の心の和一つが家庭に周囲にここに沢山集まって下さる方たちの上にまで広がっていく程しのものですから、成る程信心は家庭に不和の無きが元だという事も感じられますね。それにはね、やはりあの、その気にならなければ神様もその気になって下さらんという事でございます。 どうぞ。